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キューデンヴォルテクス五十年史 1990年度~2000年度

2019.04.04

1990年度 2年続けた全国ベスト4へあと一歩

山田監督が就任、「強力FWからの横への展開力強化」を目指し、若返ったBKの育成とFWプレーのバリエーション拡大に力が注がれた。 西日本Aリーグは日新製鋼や力をつけてきたマツダ、ニコニコドーを抑えて、全勝で3連覇、19度目の全国大会出場権を得た。  
秩父宮の初戦は昨年惜敗した大阪府警、前半2PGでリードしたが双方負傷者相次ぐ激しい当りで一進一退、終了2分前ライン攻撃からWTB扇のトライで鮮やかに昨年の雪辱を遂げた。2回戦は強敵トヨタ、前半10-13と大健闘したが力負けに終わった。  
決勝は神戸製鋼が歴史に残る大逆転で三洋電機を破ったが、両チームに外人選手が出場、外人パワーが各チームに増え始めて行く。

1991年度 福岡市代表としてマレーシアへ遠征

「FWでディフェンスを崩し、BKで勝負」の戦略をさらに磨く年、7月には福岡市代表としてマレーシアへ単独チーム海外遠征、4チーム対抗戦で全勝優勝を果たした。  
西日本Aリーグでは三菱重工に終了直前まで苦戦したが逆転勝ち、しかし外国勢を加えたマツダには追撃及ばす10-15で久しぶりの敗戦、4連覇を逸したが2位で20度目の全国大会に出場した。  
目標はベスト4進出、しかし1回戦の相手は強敵サントリー、FWのボールへの執着心と低い突込みで善戦したが、後半35分逆転のPGに失敗して初戦突破は成らなかった。  
この年、7年間努めた中川部長に替わって、佐田部長が就任した。

1992年度 全国レベル目指し、関東の強豪と連戦

4月「九電ラグビー部後援会」発足、今日まで選手を側面から支え続けている。  5月遠征してサントリーと連戦、新大分発電所のグランド開きで東芝府中、佐賀招待でトヨタ自動車、平和台スポーツスペシャルで新日鉄釜石、そして6月定期戦のリコーと、関東のトップチームと意欲的に対戦、いずれも敗れたが「チームの弱点を把握し、克服する」ための土台作りであった。  

7月のオーストラリア遠征は1勝1敗、8月の菅平合宿は台風でキャンセル、調整しながら、Bリーグから昇格したNTT九州を加えて8チームとなった西日本Aリーグに臨む。快調に6連勝して全国大会出場権を確保、11月15日前年の覇者マツダと全勝対決、前半からFWの出足鋭く20-6とリード、後半マツダの猛攻にゴール前にくぎ付けされながらも耐え、32分山崎の突進から2年目郷田が60メートル疾走してとどめを刺した。しかし最終戦で日新製鋼に敗れて3すくみ、当該チーム戦のトライ数差で2位に甘んじた。
21度目の全国大会は初戦で強豪三洋電機に敗れた。
この年、展開ラグビーとスピードアップを目指してルール改正、トライが5点となる。
南半球勢の主張であったが、いち早くその流れに沿っていた神戸製鋼が苦戦しながらも5連覇を達成した。

1993年度 九州リーグにも外国人パワーが炸裂

5年ぶりに津山監督が復帰、ランニングラグビーちアタックディフェンスの完成を目標に掲げる。湯布院の第1次合宿はボールを持たず、早朝のゴルフ場18ホールを走りきる。  
西日本Aリーグはゆうかり学園が落ちて7チーム、初戦のニコニコドー戦は前半を終わって17-17と苦戦したが、後半FWの健闘とBKの外人完封が成功して好調に滑り出す。新日鐵八幡、三菱重工長崎、NTT九州に快勝して全国大会出場権を獲得したが、残るマツダ、日新製鋼戦は外国人パワーに屈して3位。全国大会常連チームや西日本リーグの上位チームには群を抜く外人パワーの炸裂が見られるようになった。
22度目の全国大会の初戦はこの年V6を達成した神戸製鋼、前半20分間攻めに攻めたが試合巧者鉄壁の守りに1PGも奪えず、先制を許した。後半猛反撃し、12-37で敗れはしたが、九州からの大応援団は「久しぶりに胸のすく試合」に大きな拍手を送った。

1994年度 白熱化する西日本リーグ3位の争い

「きめの細かいラグビー」をスローガンに、分厚いサポートでつなぎ得点に結びつける「考えるラグビー」作りを目指す。三たび九州に迎えた電力親善大会では137-0の記録も。合宿は壱岐石田町、猛暑のゴルフ場をひたすら走り抜く。  
西日本Aリーグには中国電力が加わって8チーム、中国電力は新日鐵八幡とNTT九州を破った。九電は八幡、三菱重工にいずれも前半リードを許す苦戦ながらも4連勝で進んだが強力外国人勢を擁するマツダ、日新製鋼には歯が立たず、最終戦でニコニコドーに競り勝って漸く全国大会出場枠に滑り込んだ。
これまで秩父宮と花園で隔年開催されていた全国大会は、ラグビー普及活動の一環として、決勝戦を除き、各地セ開催されることとなった。23度目の全国大会の初戦は平和台でのサントリー戦、WTB山崎からWTB郷田につなぎ1トライをあげたが、巨漢ROオルソンの突進などで7トライを奪われ、地元の声援空しく敗れた。西日本勢は日新製鋼のあげた1勝のみ、神戸製鋼が釜石に並ぶ連覇を飾った。  
3年間勤めた佐田部長に替わって鎌田部長が就任。

1995年度 待望のラグビー部寮完成

切り札郷田を始め故障者の多いシーズン、第6回全社大会の模範試合に迎えた東芝府中、佐賀招待の神戸製鋼に大敗、リコーとの定期戦もノートライで敗れた。  
西日本Aリーグは日新製鋼、マツダが力を群を抜き「九電を倒せば3位で全国大会に行ける」と各チームが目の色を変えて狙ってくる図式が続いていた。その第一候補はニコニコドー、何とか接戦で降したがニコニコドーがマツダを破って5勝2敗で並ぶ。対戦成績勝ちで24度目の全国大会出場を確保したが、次第に3位争いはいよいよ白熱化して来た。  
全国大会は16代表を4組(プール)に分けてリーグ戦を行い、各上位2チームがトーナメント戦へ進むワールドカップ方式となり、九電はトヨタ自動車、サントリー、NTT関西と対戦、勝てる試合だったNTT関西にも痛い敗北を喫し1勝もあげられなかった。  
阪神大震災の影響もあってか神戸製鋼のV8は成らず、サントリーと三洋電機が引き分けで双方初優勝を果たした。  
12月に待望のラグビー部寮が香椎グランド横に完成、「栄養もコミュニケーションもとれる」と選手達は大喜び。

1996年度 ロスタイムの逆転負け、全国大会出場を逸す

監督制を敷かず、郷田主将のキャプテンシーの下、松尾、神田コーチでチーム運営を図る。関係者の長年の苦労が実を結び、燃料の輸入先であるオーストラリアからの待望の外人選手も入部した。U21豪代表CTBのリッチモンドとナンバー8のティモシー。  
西日本Aリーグは伝統の一戦に燃える新日鐵八幡に46-45と大苦戦の末逆転勝ち、久しぶりの郷田出場で強敵マツダもノーサイド寸前隈部のPGで4年ぶりに破り、連勝を続けた。第5戦、待望の外人選手の初登場は試合は中国電力戦、前半17-6とリードしながらよもやの逆転負けを喫した。外人選手の個人芸に頼りすぎ、連携プレーを見失っていた。日新製鋼にも敗れ、全国大会出場は最終戦またもニコニコドーとの対決にかかる。残り10分から2トライを奪われ1点差、ロスタイムで与えたPGを決められ、12年連続全国大会出場の道は閉ざされた。
西日本勢は全国大会のリーグ戦で1勝もあげ得ず完敗、東芝が9年ぶり2度目の優勝を飾る。この年から、1試合に5名までの選手の戦術的交替が可能になった。  鎌田部長が社長就任に伴い顧問に、新しく松尾部長が就任した。

1997年度 西日本3位の座、奪還成らず

林新主将、福本ヘッドコーチ、川地、斉藤コーチの体制で「ランニングラグビー」を目指す。全国大会出場権を取り返すべく2月から始動、夏合宿までボールを回しながらの100分走を繰り返す。  
西日本Aリーグには、三菱重工長崎に替わって、昨年福岡Bリーグを全勝で駆け抜けたサニックスが登場する。元オールブラックスの選手を揃え、全国レベルを目指す強敵、そのサニックスには41-38と辛くも逆転勝ちに成功、中国電力、ニコニコドーにも昨年の雪辱を果たしたが、BKの要隈部が負傷欠場してNTT九州に27-33の痛い黒星、日新製鋼を破ったニコニコドーに3位の座を占められ、全国大会出場は成らなかった。
全国大会は東芝の2連覇、外人選手を軸にしながらもオールFW、オールBKのランニングラグビーが花開いた。

1998年度 屈辱の西日本リーグ5位に転落

前年度の失点の多さを反省し、今年のテーマは「ランニングラグビー」プラス「粘り強いディフェンスの確立」。個々のディフェンス力のアップを目指し、紅白戦を多用して競争意識を促す。新外人スウィニーを加え、50名近い戦力は北海道合宿で力をつけシーズンを迎えた。 前年度全敗した新日鐵八幡が、三菱重工水島との入替え戦に破れ、遂に西日本Aリーグから姿を消す。九電は第2戦で新鋭サニックスに敗れ、強敵日新製鋼、マツダに懸命の闘いを挑んだがいずれも1点差で惜敗3年連続で全国大会出場を逸すと最終戦にニコニコドーにも敗れ、5位に終わった。

1999年度 4年ぶりに全国大会へ出場

4年ぶりに監督制を敷き日高監督が就任、「全国ベスト8」を目標に「走り勝つラグビー」を目指す練習が1月から始まった。ここ数年毎年有望新人が入部し、ポジション争いは激化している。個々の力量を如何に勝利に結びつけるかが当面の課題。  
景気の低迷が西日本リーグをも直撃、日新製鋼のリーグ脱退、ニコニコドーの廃部でAリーグ枠が2つ開いた。替わってBリーグからコカコーラ・ウエストジャパン、三菱重工長崎が昇格。4連勝で迎えた第5戦、中国電力に20-19と薄氷を踏む勝利、サニックスに敗れて迎えた最終日、強敵マツダを圧倒して2位になり、4年ぶり25度目の全国大会出場権を獲得した。
全国大会Aプールの初戦はリコーに苦杯を喫したが2戦目の鐘渕化学とはノーサイド寸前の引き分けに持ち込んだ。3戦目の前年度覇者トヨタ自動車には選手の力が終結し大善戦、前半から果敢に攻め続け、後半には4トライを奪い「あわや優勝か」の期待を抱かせた健闘にスタンドの拍手が惜しみなく響いた。  プール戦で初の3位、再起への第1歩を記録した。

2000年度 トップチームの壁厚し、神戸製鋼に大敗

山昨年4年ぶりに全国大会へ出場し、トップチームとの対戦で得た反省課題を洗い出し、「80分間ゲームのできる体力」「強いプレッシャーの中でも適正な判断と正確なプレーができる技術力」「ゲーム中どんな厳しい状況にも耐えられるタフな精神力」を強化項目として春から厳しい練習を積んで来た。  
関東学院大から吉岡、明大から松添などのBK陣に加え、ニュージーランドからLO、ジェームス・ロジャース、No.8、ピレ・ナリムが新たに入部。攻守に幅が広がり期待の持てるシーズン入りとなった。
西日本リーグでは、マツダ、中国電力にやや苦戦したものの、順当に勝ち進みサニックスとの全勝対決となった。結果36対16で敗れたが、2年連続で全国大会への出場権を得た。
今年の全国大会は、国際大会の日程の都合でトーナメント方式の一発勝負。正月3日に昨年度の覇者、神戸製鋼との対戦となった。主力選手を怪我で欠いたとはいえ、力の差はいかんともしがたく、前半開始早々から得点を重ねられ、終わってみれば屈辱的な大敗となった。  神戸製鋼は、昨年に引き続き全国大会、日本選手権でNo.1に輝いた。  
九州電力ラグビー部は浮沈の歴史を重ね、ここに創部50周年を迎えた。ラグビー人気が高まり、関東・関西に強力チームが集中、また世界のプロ化現象の中で、社会人ラグビーの神髄を体し、再び日本の頂点を目指して、九電ラグビーの闘いが今日も続けられる。