KVアーカイブ
キューデンヴォルテクス五十年史 1980年度~1989年度
2019.04.04
1980年度 遂に八幡を破り9年ぶりの全国大会へ

白石監督が就任、合宿は王者の胸を借りて釜石で。小藪監督、森主将を中心に熱心な練習指導をうける。4度の練習試合で九電のあげたトライ僅かに1.5名の入部もあり、今年こその意気に燃えた西日本リーグの八幡戦は前半こそ10-10と競り合ったものの伝統の一戦にかける八幡の執念の前に10-34で敗れる。
春に名島グランドが閉鎖されて、練習は福岡営業所に集合して南公園に走り、石段を駆け上がる。そして10月待望の香椎グランド完成、水はけの良さ、ナイター設備完備、おそらく当時としては日本一のグランドであった。グランド開きのリコー戦は14-11で競り勝った。
そして迎えた社会人予選決勝の鞘ヶ谷、前半0-4とリードされたが後半2本のPGで逆転、最後まで鋭いタックルが決まり1トライを加えて、遂に打倒八幡を達成、9年ぶりの全国大会出場を勝ちとった。
10度目の全国大会、初戦は新日鉄室蘭に32-4と圧勝したが、2回戦で近鉄に15-21と惜敗した。以降16年間に15回出場を遂げた九電ラグビー部復活の年である。
春に名島グランドが閉鎖されて、練習は福岡営業所に集合して南公園に走り、石段を駆け上がる。そして10月待望の香椎グランド完成、水はけの良さ、ナイター設備完備、おそらく当時としては日本一のグランドであった。グランド開きのリコー戦は14-11で競り勝った。
そして迎えた社会人予選決勝の鞘ヶ谷、前半0-4とリードされたが後半2本のPGで逆転、最後まで鋭いタックルが決まり1トライを加えて、遂に打倒八幡を達成、9年ぶりの全国大会出場を勝ちとった。
10度目の全国大会、初戦は新日鉄室蘭に32-4と圧勝したが、2回戦で近鉄に15-21と惜敗した。以降16年間に15回出場を遂げた九電ラグビー部復活の年である。
1981年度 堂々の全国ベスト4進出

リコー定期戦は10-12と惜敗したが、菅平合宿では早大、横河電機、法大、京都市役所と対戦し3勝1敗、漸く全国レベルの力に到達しつつあった。
西日本リーグも12年ぶりの優勝で飾ったが、前年の敗戦も目の色を買えて向かってきた宿敵八幡には12-23で敗れていた。その新日鐵八幡と社会人予選1回戦で対戦、今度はなまじりを決した九電が31-4で勝ち、決勝のゆうかり学園戦も圧勝した。
11度目の全国大会は初戦東洋工業い完勝、2回戦のリコーにも春の雪辱を遂げ、準優勝で王者釜石と対戦した。最初から押しまくり1PGを先行、互角の闘いを続けたが試合巧者の釜石の要所々々を決められ、貫禄負けした。25年ぶりのベスト4進出、九電ラグビー史上第3位の成績の年であった。
西日本リーグも12年ぶりの優勝で飾ったが、前年の敗戦も目の色を買えて向かってきた宿敵八幡には12-23で敗れていた。その新日鐵八幡と社会人予選1回戦で対戦、今度はなまじりを決した九電が31-4で勝ち、決勝のゆうかり学園戦も圧勝した。
11度目の全国大会は初戦東洋工業い完勝、2回戦のリコーにも春の雪辱を遂げ、準優勝で王者釜石と対戦した。最初から押しまくり1PGを先行、互角の闘いを続けたが試合巧者の釜石の要所々々を決められ、貫禄負けした。25年ぶりのベスト4進出、九電ラグビー史上第3位の成績の年であった。
1982年度 猛タックルで強敵東京三洋を降す

永倉社長の商談が縁で、現役ち若手OBを混成した「九州サンダース」がオーストラリアに派遣された。
西日本リーグでは新日鐵八幡を26-9で降し連続優勝を飾ったが、社会人予選の決勝ではさすがに伝統の一戦、後半26分に同点ゴールを許して9-9の決勝戦3度目の引き分け、時の勢いか初めて抽選勝ちを得て12度目の全国大会出場権を獲得した。
西日本リーグでは新日鐵八幡を26-9で降し連続優勝を飾ったが、社会人予選の決勝ではさすがに伝統の一戦、後半26分に同点ゴールを許して9-9の決勝戦3度目の引き分け、時の勢いか初めて抽選勝ちを得て12度目の全国大会出場権を獲得した。

全国大会の1回戦は打倒釜石の一番手東京三洋、前半0-6とリードされたが後半2本のトライで逆転、鋭いタックルの連発で強敵を屠った。全国の注目を集めた一戦であったが、2回戦で好敵手リコーに昨年のお返しをされ連続ベスト4進出は成らなかった。
4年勤めた冨安部長に替わって中川部長が就任。
4年勤めた冨安部長に替わって中川部長が就任。
1983年度 王者釜石に勝利目前、大魚を逸す

津山監督が就任、35名の部員は山下湖畔荘で合宿、簡易練習場を造ってもらい、ゴルフコースを走り抜く、因縁のリコー定期戦を22-19で競り勝ち、シーズンのスタートを切った。
西日本リーグで新日鐵八幡の激しい闘志に苦杯を喫したが、来日したカウラを27-25で破って立て直し、社会人予選では八幡を14-3、ゆうかり学園にも圧勝して13度目の全国大会に出場した。
西日本リーグで新日鐵八幡の激しい闘志に苦杯を喫したが、来日したカウラを27-25で破って立て直し、社会人予選では八幡を14-3、ゆうかり学園にも圧勝して13度目の全国大会に出場した。

1回戦で大阪府警を40-11と圧倒、2回戦で鉄人新日鉄釜石に挑んだ。前半7分PGで同点に追いつくと12分津山がサイドを突いて7-3とリード、後半18分にPGを許して1点差に詰め寄られたが、FWの突込みとBKの巧タックルで勝利目前に迫った35分、痛恨のPGを許して逆転負け、大魚を逸した。6連覇を達成した無敵の王者釜石に冷や汗をかかせた九電ラグビー史上屈指の好ゲームであった。
この年、第1回九州電力7人制ラグビー大会が香椎競技場で開催された。
この年、第1回九州電力7人制ラグビー大会が香椎競技場で開催された。
1984年度 ゆうかり学園に不覚の抽選負け

佐賀招待ラグビーが始まった。選ばれたのは王者釜石、釜石の希望した対戦相手は九電単独チーム、佐賀県総合グランドで新春の熱戦が再現された。雨中の大接戦は後半必死に追い上げたものの届かず、15-18で惜敗、しかし花園の熱戦が決してフロックでないことを証明した。以降今日まで佐賀県ラグビー協会の主催で、関東関西の強豪チームと九電との対戦が続く。 リコーとの混成チームでオーストラリア遠征、そのリコーとの定期戦も圧勝。参加チームの増加で2部制となった西日本社会人のAリーグでも4勝全勝で優勝。順調に歩を進めていたが、好事魔多し、社会人予選の1回戦でBリーグのゆうかり学園に苦戦、9-9で引き分け、抽選に敗れてしまった。新日鐵八幡が19度目の全国大会に出場したが、これ以来今日まで全国大会から遠ざかる。 新日鐵釜石が7連覇を達成したシーズンであり、九電には痛恨の年であった。
1985年度 再び東京三洋を破りベスト4へ

緊縮財政で合宿は初の香椎グランド、マネージャーと怪我人が炊事担当、差し入れに感謝。 それにしても出足の悪いシーズンだった。リコー定期戦で敗れると、西日本リーグでも新日鐵八幡、日新製鋼、マツダに敗れて4位、負傷者も多く苦戦が続いたが、体勢を立て直した社会人大会では決勝で八幡を一蹴して14度目の全国大会を迎えた。

緒戦の相手は優勝候補の一角東京三洋、前評判は不利だったが、試合開始直後から鬼気迫るタックルの連続、19分川内、31分江頭のトライで前半10-0とリード、後半もディフェンス堅く、気力勝ちの金星を挙げた。2回戦もアジア共石に圧勝、4年ぶりの準優勝でこの年優勝したトヨタ自動車と対戦、後半2トライを返したが及ばず、敗退した。前年の雪辱を晴らした悔いのないシーズンであり、この年以降ベスト4進出は果たされていない。
1986年度 新旧交替で宿敵八幡にリーグ戦連敗

新旧交替の時が訪れ、苦しいスタートだった。九州に迎えたトヨタ自動車、神戸製鋼には善戦したが惜敗、リコー定期戦は歯が立たず、西日本リーグでは新日鐵八幡に7-9で敗れた。「宿敵八幡」はこの後も九電戦には闘志を燃やし、大接戦が展開される。
しかし23人が九州代表候補合宿に参加するというチーム内競争の激化もあり、10月に入って3連勝、社会人大会予選もゆうかり学園、新日鐵八幡を破って15度目の全国大会に臨んだ。
秩父宮の1回戦は前年度準優勝で対戦したトヨタ自動車、宗雲兄弟の対決が話題を呼んだ。「攻撃的ディフェンス」を合言葉にトヨタの強力FWをたじろがせたが、7-19で敗れ、トヨタは2連覇を達成した。
しかし23人が九州代表候補合宿に参加するというチーム内競争の激化もあり、10月に入って3連勝、社会人大会予選もゆうかり学園、新日鐵八幡を破って15度目の全国大会に臨んだ。
秩父宮の1回戦は前年度準優勝で対戦したトヨタ自動車、宗雲兄弟の対決が話題を呼んだ。「攻撃的ディフェンス」を合言葉にトヨタの強力FWをたじろがせたが、7-19で敗れ、トヨタは2連覇を達成した。
1987年度 初の単独チーム海外遠征

6月韓国電力の招きでソウル、釜山で同社チーム等と対戦、単独チーム初の海外遠征は1勝2敗。 着実に力をつけて来たチームは、西日本Aリーグをマツダに1敗しただけで同率優勝、遠征してきたカウラも20-10で破り、社会人予選も北九州コカコーラ、新日鐵八幡をシャットアウトして、16度目の全国大会に出場した。

全国大会の初戦は関東の新鋭日本電気、韓国勢のハーフ団に翻弄されて後半なかばまで4-18と押されっぱなし、しかし勝負を捨てない九電の「残り9分の猛反撃」が始まる。26分オープン攻撃から片岡、30分スクラムから岩倉、そして33分PKからFW、BKのラッシュで扇がトライ、内田のゴール成って奇跡の同点に持ち込んだ。残念ながら抽選は「次回の出場権なし」。
大会は東芝府中が初優勝を飾った。
大会は東芝府中が初優勝を飾った。
1988年度 第1回全社ラグビー大会開催

前年度日本選手権優勝の早大の神田、永田を含む6名の新入部員を迎えて43名となり、川内監督が就任した。6月、日本代表強化選考試合として前年度の覇者東芝府中と対戦、前半のリードを保って28-30で快勝した。
この年から全国大会の出場権が西日本リーグ上位3チームに与えられることとなり、これまで秋本番への調整や新人登竜門の観もあった同リーグが、真剣味を帯びた長期リーグ戦と化す。九電はマツダに1敗したが優勝して全国大会出場を決めた。
17度目の全国大会は1回戦で奇しくも東芝府中と対戦、さすがに春の試合とはうって変わった攻撃力で前半から圧倒され、後半の挽回及ばず敗戦した。神戸製鋼の7連覇が始まった年である。
全社大会が15人制となり、10チームが参加して第1回大会が唐津で開催された。以降各地持ち回りで今日まで続く全国に例を見ない大会である。
この年から全国大会の出場権が西日本リーグ上位3チームに与えられることとなり、これまで秋本番への調整や新人登竜門の観もあった同リーグが、真剣味を帯びた長期リーグ戦と化す。九電はマツダに1敗したが優勝して全国大会出場を決めた。
17度目の全国大会は1回戦で奇しくも東芝府中と対戦、さすがに春の試合とはうって変わった攻撃力で前半から圧倒され、後半の挽回及ばず敗戦した。神戸製鋼の7連覇が始まった年である。
全社大会が15人制となり、10チームが参加して第1回大会が唐津で開催された。以降各地持ち回りで今日まで続く全国に例を見ない大会である。
1989年度 全国レベルの「湧き出るFW」で勝負

「全勝で西日本リーグを制し、全国ベスト4進出」を目標に掲げ、中津江村での山中合宿。戦力的には関東、関西から取り残されかけてきた九州勢の中で、層の厚い九電FWは全国レベルと評された。
圧勝で勝ち進んだ西日本Aリーグ、最終戦の日新製鋼に前半4-6とリードされたが、後半「湧き出るFW」の健闘で逆転、18度目の全国大会へ順当に駒を進めた。
初戦は西日本リーグ仲間の日新製鋼をFW戦で圧倒、2回戦の大阪府警にもあくまでFW戦で挑んだが終了5分前、不覚の逆転ゴールを許し惜敗、目標のベスト4へあと一歩で涙を飲んだ。
圧勝で勝ち進んだ西日本Aリーグ、最終戦の日新製鋼に前半4-6とリードされたが、後半「湧き出るFW」の健闘で逆転、18度目の全国大会へ順当に駒を進めた。
初戦は西日本リーグ仲間の日新製鋼をFW戦で圧倒、2回戦の大阪府警にもあくまでFW戦で挑んだが終了5分前、不覚の逆転ゴールを許し惜敗、目標のベスト4へあと一歩で涙を飲んだ。