KVアーカイブ
キューデンヴォルテクス五十年史 1960年度~1969年度
2019.04.02
1960年度 八幡製鐵以外に初の敗戦

加勢田監督が就任、以降4年間指揮をとる。8ミリを駆使して、宿直室の反省会での激しい指摘は今も語り草となっている。夏合宿は引き続き自衛隊雑餉隈部隊。 前年度優勝チームの推薦出場制度ができてから、八幡製鐵の全国制覇が続いて、「毎年秋の八幡との決戦」という目標を失ったことが九電のリズムに変調を与えたのだろうか。この年は予選決勝でもう一つの強豪三井化学に前半2PGでリードを許し、後半1ゴールをあげたものの及ばず、不覚を喫してしまった。三井化学は黄金コンビを誇った安武-堀ハーフ団の最後の年、全国大会1回戦で日鉱日立を破ったが、2回戦で自衛隊伊丹部隊に敗れた。八幡製鐵は3連覇で8回目の優勝を果たした。
1961年度 三井に雪辱、4度目の全国大会出場

これまで関西への遠征は休暇をとって行っていたが、漸く部活動として認められることとなった。伊丹自衛隊に泊まり、京都市役所、同志社大学等強豪チームと4試合を行う。
八幡製鐵が前年度優勝で出場するこの年は、昨年敗れた三井化学が当面の目標。1回戦久留米自衛隊、2回戦東洋高圧に圧勝して、決勝戦で対決した。前半2つのPGで先行したものの三井の重量FWに押されつづけ、26分にゴールを許して終了、しかし風上に回った後半5分にPGで逆転すると7分のPGで突き放し、その後2トライを加えて雪辱した。
4度目の出場となった全国大会では、1回戦で関東の強豪谷藤機械対戦、0-9で敗れた。大会4連覇を目指した八幡製鐵は、決勝で近鉄に5-6で惜敗した。
八幡製鐵が前年度優勝で出場するこの年は、昨年敗れた三井化学が当面の目標。1回戦久留米自衛隊、2回戦東洋高圧に圧勝して、決勝戦で対決した。前半2つのPGで先行したものの三井の重量FWに押されつづけ、26分にゴールを許して終了、しかし風上に回った後半5分にPGで逆転すると7分のPGで突き放し、その後2トライを加えて雪辱した。
4度目の出場となった全国大会では、1回戦で関東の強豪谷藤機械対戦、0-9で敗れた。大会4連覇を目指した八幡製鐵は、決勝で近鉄に5-6で惜敗した。
1962年度 王者八幡に1トライの善戦

前年はBK1名のみの入部であったが、この年は強化に力を入れる永倉部長の肝いりでFW3、BK1の4名が補強され、チームの若返りが計られた。全国制覇奪還を目指す八幡製鐵の意気込みは凄まじく、三井化学、ヤナセを難なく撃破して決勝に進出、九電も自衛隊勢を連覇して12月2日三年ぶりに宿敵八幡に挑んだ。
前半6分先制ゴールを与えたが早いつぶしで追加点を許さず、後半も1PGも抑えたが反撃はならなかった。善戦ではあったが、戦力数段上の八幡製鐵に対する精一杯の闘いであった。八幡製鐵は9度目の全国制覇を果たした。
前半6分先制ゴールを与えたが早いつぶしで追加点を許さず、後半も1PGも抑えたが反撃はならなかった。善戦ではあったが、戦力数段上の八幡製鐵に対する精一杯の闘いであった。八幡製鐵は9度目の全国制覇を果たした。
1963年度 富士吉田で初の遠征合宿

日体大からの全日国WTB鯨井他3名が入部。明治大学OB勢の縁で、初の遠征合宿が富士吉田で明大と合同で行われた。5日間午前の基礎練習と午後の練習マッチ、早朝の富士登山は日の出に間に合わない一幕も。
宿敵八幡のいない予選は決勝で三井化学と5度目の対戦「気をゆるめたらイカレる」との木下主将のゲキで、前半小原、榎本、木下のトライでリードを奪い、後半差を詰められたが逃げ切り、5度目の全国大会出場権を得た。
全国大会1回戦の相手は自衛隊松戸部隊、前半2トライでリードしたが、後半重量FWの猛攻に逆転負けを喫してしまった。八幡製鐵は10度目の全国制覇。
宿敵八幡のいない予選は決勝で三井化学と5度目の対戦「気をゆるめたらイカレる」との木下主将のゲキで、前半小原、榎本、木下のトライでリードを奪い、後半差を詰められたが逃げ切り、5度目の全国大会出場権を得た。
全国大会1回戦の相手は自衛隊松戸部隊、前半2トライでリードしたが、後半重量FWの猛攻に逆転負けを喫してしまった。八幡製鐵は10度目の全国制覇。
1964年度 全国大会で再び八幡と対戦

前年あたりから力をつけてきた新鋭ヤナセが、準決勝で三菱化成を46-0で一蹴した。九電も17-3と三井化学をリードしたが後半猛追をうけノーサイド直前のトライで2点差、幸いゴール不成功で辛勝した。決勝のヤナセ戦も新鋭の突進に苦戦したが前半のリードを保って優勝した。6度目の全国大会、1回線で関東の新鋭朝日生命との大接戦を展開、ノーサイド直前今年から監督に就任した中田のトライで逆転勝ちした。2回戦で宿敵八幡と対戦、前半5-8と善戦したがそれまで、八幡は3度目の3連覇、11度目の優勝を遂げた
1965年度 電力大会に佐賀支店選手出場

国体予選の準決勝で八幡製鐵と対戦、多彩なBK陣を活かすため、昨年の全国大会同様セブンFW・SEで挑んだが16-37で敗れた。社会人予選決勝の相手は6度目の三井化学、ハーフ団とBKの呼吸もあった連携プレーで前半5分古本、15分鯨井のトライでリード、後半もねばりきって7度目の全国大会を果たした。 花園の1回戦は住友赤平を16-6で下したが、2回戦で自衛隊中部部隊に0-14で敗退した。八幡製鐵は前評判の高かった近鉄を決勝で降して4連覇、12度目の全国制覇を達成した。電力大会で圧勝を続ける九電は、この年から佐賀支店チームの選手も混えて出場、15連勝を飾った。1月、九電ラグビーOBクラブ発足。
1966年度 名島に待望の専用グランド完成

「九電の弱みは専用グランドを持たぬこと」と従前から指摘されていたが、11月待望久しいマイグランドが完成した。名島発電所跡地を整地し、芝生を植えただけのものだが、ジプシー練習は終わりを告げ、部員一同大歓喜で練習前の石拾いをした。追って練習用の照明も完成、勤務時間後に行う練習を終えて、さらに自主的に居残り練習する部員の姿が見られた。
グランド開きは社会人ラグビーの福岡予選、準決勝で三井化成を23-3、決勝のヤナセ戦は前半リードを許したが、後半バックス自力を発揮して24-13、新グランドのスタートを全国大会出場で飾った。 8度目の全国大会の初戦の相手は優勝候補の近鉄、元旦の秩父宮は氷雨、ぬれた芝にふんばりがきかず、重量FWに押され続け、惨敗を喫した。八幡製鐵は準決勝でトヨタ自工に惜敗、近鉄時代の幕開けであった。
グランド開きは社会人ラグビーの福岡予選、準決勝で三井化成を23-3、決勝のヤナセ戦は前半リードを許したが、後半バックス自力を発揮して24-13、新グランドのスタートを全国大会出場で飾った。 8度目の全国大会の初戦の相手は優勝候補の近鉄、元旦の秩父宮は氷雨、ぬれた芝にふんばりがきかず、重量FWに押され続け、惨敗を喫した。八幡製鐵は準決勝でトヨタ自工に惜敗、近鉄時代の幕開けであった。
1967年度 遠のいた全国大会出場
八幡製鐵が全国制覇する力を失ったことは、九電の全国大会出場が難しくなったことに直結する。九電に過去16年に8回の出場を果たしていたが、そのうち7回は八幡製鐵の前年度優勝の年、そしてこの年から13年の間全国大会への出場はただ1度だけ、打倒八幡を目指す苦難の道程が続く。国体予選決勝では3-22で圧倒された。
名島グランドができて合宿は名島海浜荘に移り、秋を期したが社会人大会予選は初戦でヤナセに逆転負け、中川監督初陣は飾れなかった。 この年秩父宮で行われた電力親善大会の準決勝、メンバーを落しすぎたか地元東電に先行されて大苦戦、終了直前に同点のトライをあげたがど真ん中のコンバートに失敗、3-3で不覚の抽選負けを喫し3位に終わった。歴史に残る1敗である。
名島グランドができて合宿は名島海浜荘に移り、秋を期したが社会人大会予選は初戦でヤナセに逆転負け、中川監督初陣は飾れなかった。 この年秩父宮で行われた電力親善大会の準決勝、メンバーを落しすぎたか地元東電に先行されて大苦戦、終了直前に同点のトライをあげたがど真ん中のコンバートに失敗、3-3で不覚の抽選負けを喫し3位に終わった。歴史に残る1敗である。
1968年度 国体出場と九州リーグ初優勝

八幡製鐵が国際試合の関係で国体予選を欠場、九電は三井、ヤナセを破り、北九州代表決定戦でオール長崎を、九州代表決定戦で鹿児島教員団を破って若狭国体に出場した。初戦で群馬(三洋電機)に敗れたが、その後福岡は選抜チームが作られるようになったため、九電としては最初で最後の国体出場であった。
九州ラグビーの強化を図ろうと九州リーグが発足、八幡・九電・三井・ヤナセに福大・福工大が参加した。九電はメンバーを落とした八幡製鐵を破り、全勝で初優勝したが、社会人予選の決勝では11-47、八幡製鐵との実力の差を思い知らされた。 八幡製鐵は3年振りに全国大会決勝に進んだがトヨタ自工に初優勝を許す。以降10年間に5チームが優勝を分け合う戦国時代が始まった。
この年からリコーとの定期戦が始まる。5月の名島では16-8で勝ったが、11月の瑞穂では16-24で敗れ、1勝1敗のスタートであった。
九州ラグビーの強化を図ろうと九州リーグが発足、八幡・九電・三井・ヤナセに福大・福工大が参加した。九電はメンバーを落とした八幡製鐵を破り、全勝で初優勝したが、社会人予選の決勝では11-47、八幡製鐵との実力の差を思い知らされた。 八幡製鐵は3年振りに全国大会決勝に進んだがトヨタ自工に初優勝を許す。以降10年間に5チームが優勝を分け合う戦国時代が始まった。
この年からリコーとの定期戦が始まる。5月の名島では16-8で勝ったが、11月の瑞穂では16-24で敗れ、1勝1敗のスタートであった。
1969年度 大接戦で始まったリコー定期戦

国体予選の準決勝で八幡製鐵と対戦、多彩なBK陣を活かすため、昨年の全国大会同様セブンFW・SEで挑んだが16-37で敗れた。社会人予選決勝の相手は6度目の三井化学、ハーフ団とBKの呼吸もあった連携プレーで前半5分古本、15分鯨井のトライでリード、後半もねばりきって7度目の全国大会を果たした。 花園の1回戦は住友赤平を16-6で下したが、2回戦で自衛隊中部部隊に0-14で敗退した。八幡製鐵は前評判の高かった近鉄を決勝で降して4連覇、12度目の全国制覇を達成した。電力大会で圧勝を続ける九電は、この年から佐賀支店チームの選手も混えて出場、15連勝を飾った。1月、九電ラグビーOBクラブ発足。