2010年1月4日(月)の日記
明けましておめでとうございます。
山田です。
今年もよろしくお願いいたします。
2010年第1弾ということですが
今日は私がオーストラリアに行った時の話その2をさせていただきます。
大学1年で大学のラグビー部を辞めて
大学2年3年でバイト三昧の生活を送りお金を貯めて、
3年の2月からラグビーをするために一人オーストラリアへ
旅立ちました。
飛行機の手配から現地の生活する場所の手配まで
自分一人で必死にやったものです。
初めての海外。
英語まったく喋れず。
募る不安を
“目標を達成するためにやらねば”
という気持ちで打ち消して
ブリスベンに到着した21歳。
事前に日本から電話して
超片言の英語で話をしておいた
現地の滞在先の外国人が
空港で迎えてくれました。
到着したその日に
イーストというチームへ練習に行きました。
前夜は飛行機の中で不安の為一睡もできなかったので
練習でめちゃくちゃばてました。
また、コーチや選手が何を言っているか
まったく理解できずにくじけそうになったものです。
チームの1軍目指して練習をしていたのですが
結局3軍までしか上がれず、シーズン最後の
ファイナルシリーズがやってきました。
当時憧れのバリモアスタジアムでのファイナル。
出場できると思いきや
前の週のセミファイナルで負けた2軍の選手が3軍として
出場することになり、ベンチスタート。
で、出場チャンスなく試合も負けて
21歳のオーストラリアラグビー生活が終わりました。
試合終了後、チェンジングルームで私は1軍に上がれなかったことや
その日の試合に出られなかったこと、試合に負けたこと、
これで日本に帰ることなどを考えて思わず泣いてしまっていました。
すると、代わりに出場していた同じポジションの選手が
私のところに来て
“ごめん”
と言ってきました。
私は
“しょうがないよ”
と言って、その選手と握手をしていたら
その他の選手、スタッフが順番に
私のところに握手をしに来てくれました。
そして、いきなり輪になって肩組んで
クラブソングを歌ってくれました。
この上なく感動したことを覚えています。
チームメイトには本当に良い人が多くて
英語の喋れない私にも本当に親切に
接してくれて、約8カ月間苦しいことも含めて
本当に楽しい経験をすることができました。
この時に1軍に上がれなかった悔しさをバネに
25歳で再びオーストラリアに行き、目標を達成するのでした。
あの時の悔しい思いが私を成長させてくれたことは
間違いありません。
Kyuden Voltexも挫折のシーズンでした。
私は今後大きく飛躍するためのチャンスととらえています。
乗り越える壁が高い方が、登った時の気分もより良いものだと思います。
強いチャレンジ精神を持って、より困難なチャレンジを
楽しむ、そんな気持ちを持って私自身もチームも
今後とも頑張ります。
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