第4回は、九州電力ラグビー部の目指すべき姿。仕事とラグビー常に全力投球という言葉がぴったり!監督歴任後、後援会事務局、そして少年ラグビーの指導とラグビーにかける情熱は衰えない日高先輩です。現役時代はBK並みの運動量と体格差を感じさせないスクラムで、社会人大会ベスト4に貢献。
question ―高校ラグビー界の強豪高鍋高校のご出身ですが、ラグビーを始められたきっかけは?
友人と誘われて一緒に見に行ったんですが、その時にすぐ入部というかたちになりました。それから、ずっと・・・、続けて来た次第です。ちなみに、友人は、一年くらいでやめましたが(笑)
question 当時の高鍋高校は黒岩先生のご指導で、「厳しい練習」が有名でした。大変でしたか?
そうですね〜。でも、練習が厳しいというのは当たり前のことなので、厳しくてもどうもなかったんですが、俗にいう不良?・・・とまでは言わないですが、行ないの良くない仲間が多かったので、よく怒られていましたね。(笑)
question 高鍋高校から九州電力へ、当時の先輩方はいかがでしたか?
高校卒業してから九電に入社したので、社会のことは何も知らなかったんですが、先輩方には非常に優しくしていただきました。4月から練習を始めたのは私一人だったので、後片付け等はほとんど一人でしていましたけど、先輩方がよく手伝ってくださいましたし、いろんなことをアドバイスいただきました。ラグビーもそうですし、私生活もそうですし、特に酒のことについては・・・(笑)指導いただきました。お陰で一人前に飲めるようになりました。
question その後、同期古瀬先輩、東先輩と組むスクラムは、サイズは無いながらも低く強く強固なものでしたね。
しかし、全国レベルではまだまだでした。私が全国大会で強いな!と思ったチームはトヨタ自動車さんです。トヨタ自動車さんもそんなに大きくなかったんですが、とてもスクラムが強くて、「これはちょっと負けるな!」っていう感じは、いつも思っていましたね。それ以外のチームは、何とか耐えれる感じでしたね。
question ところで、現役引退はおいくつでしたか?
32歳ですね。
question 長く選手として活躍するために、心掛けていたことはありますか?
心掛けていたというよりも、ラグビーができる喜び・楽しさをずっと味わっていましたね。引退する時は、体的にも少しきつかったですし、仕事の面でもちょっと時間が取れないという状況がありました。それまではラグビーができるということが非常に嬉しくて、それをいつも感じていましたね。

現役時代
question 九電の試合で、一番思い出に残る試合は?
いっぱいあるんですが、・・・そうですね〜、一番はゆうかり学園さんと試合です。当時の九州電力はすごく強かったんですよ。前年度、(7連覇当時の)新日鉄釜石といい勝負をしていまして、惜しくも全国大会で負けてしまいました。しかし、その経験を活かして、翌年非常に強いチームができて、自信を持って臨んだんですが、全国大会の県予選1回戦でゆうかり学園さんと同点となり、抽選負けしたことが一番印象深いですね。昭和59年のことです。
question ―引退後コーチを経て、監督に就任されました。当時は全国大会にも出場できない低迷期でしたが、引き受けるには並々ならぬ決意があったと思いますが?
コーチを1年して、それから監督になりました。やらないか?という話があり、自分ができることならと決意しました。だいぶ悩みはしましたけだど、出来る限りのことはしようと。それだけ、九電ラグビーにはお世話になっていますし、ラグビーをやったから今があると思います。何かご恩返しができればと思い、自分ができることをやってみようということで引き受けました。
question 就任1年目に全国大会出場、その後3年間着実に力をつけ、神田監督にバトンを渡されましたね。
もともと、九電の選手自体が個人的に能力の高い選手が多かったんで、それをどうやって引き出すか?どうやってひとつのチームにまとめるか?ということを一番に考えていましたね。
question 監督という仕事、大変だったと思いますが、就任時一番思い出に残っていることは?
一年目に、佐賀でサニックスさんと戦った試合があるんですが、同じ日に佐賀ではバルーンフェスタが行われていました。高速道路で大渋滞に巻き込まれて、到着したのが試合開始前30分でした。(苦笑い)、余裕をもって行ったつもりだったんですが、選手にはウォーミングアップもできないまま試合をさせたということが、危機管理の能力がなかったな〜と思いました。
しかし、その翌週にマツダさんと試合がありました。その年のマツダさんは非常に強かったんですが、大差で勝ちました。前週のサニックスさんのこともあり、印象に残っていますね。(またまた、苦笑い)
question 監督退任後、後援会事務局としてチームのサポートをされてあり、いろいろな企画を考えてあります。後援会の目指すところは?
後援会の目的は、チームのサポートをするということ。それから九州ラグビー界の発展するということが目的です。たくさんの個人、法人の方に賛同いただいて、運営しているわけなんですが、やはり九州電力ラグビー部の後援会ですので、九州電力のラグビーの試合を一人でも多く観てもらいたいと思います。試合を観ていただければ、ラグビーの魅力を感じていただけると思います。そういったことを続けることによって後援会の会員を増やしていきたいと思っています。
question ―また最近は、「つくしYR」で次世代の育成に力を入れてあるそうですね。
私事なんですが、息子が中学に入る時にラグビーをしたいということで、ちょうど監督から退いた時期だったので、一緒にしようか!ということで入ったんです。それから5年、子供たちと一緒にラグビーをするということが、非常に楽しくて、そのような楽しいこと(楽しむこと)が別にあるんだなぁ・・・と発見しました。自分自身がラグビーをすることが非常に楽しく、子供達と一緒にプレーしたり教えたりすることで、今一番良い時間を過ごしています。どこまで育てられるかどうか?は分かりませんが、これからも一緒にラグビーを楽しんでいきたいですね。

つくしYRの子供たちと
question 社会人の完成された選手を教えるのとは、また違う楽しみがあるということですよね。
そうですね、はい。(笑顔)
question 息子さんもU17九州代表として、夕張の大会に参加されたそうですね。また高校日本代表の候補にも選出されました。これは親として非常に嬉しいことですね。
そうですね。(笑顔)そういう代表に入ってくれると、いろんなことを勉強できるので、非常にいいことと思います!
question 日高さんは長く資材業務に従事され、現在はQIC(キューデンインフォコム)の管理マネージャーとして活躍。QICのお仕事はどんなことでしょうか?
QIC(キューデンインフォコム)はですね、ITコンサル事業とデータセンター事業の2つの事業を行なっています。ITを使った業務改革を、自治体、大学や病院等に提案するというのがITコンサルティング事業です。データセンター事業というのは、お客さまが持っているサーバーとかをお預かりして、管理を行なうといった事業です。
question 時代にマッチした会社ですね?
そうですね。そういうことになりますね。今、IT産業が盛んですので、最先端を行く事業だと思います。
question 日高さんは、選手、監督そして仕事と、全てにおいて後輩の手本となる文武両道を貫かれています。両立するためには、並々ならぬ努力があったと思いますが。
手本となるような選手ではないですよ。やはり私達の先輩もそのようなことをやってきてありますし、ラグビーと仕事を両立することは先輩の姿を見て、それをまねしてきただけの話です。個人的にどうこうという訳じゃないですね。
question 今季トップリーグを戦う後輩に一言!
トップリーグでは、これまで経験したことのないような厳しい試合の連続だと思いますが、チーム全員が仲間を信じ、ひたむきにプレーして下さい。トップリーグでの活躍を期待しています。

日高 勲(46歳)
■キューデンインフォコム管理グループマネージャー
■高鍋高→九州電力株式会社
■現役時代はPR、HOとして活躍 九州代表

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