第3回は、今や“フェニックス”の愛称で親しまれる東福岡高校の印象が強い川内先輩をご紹介します。ハードタックラーWTBとして九電、日本代表で活躍。プレイングマネージャーを務め、平成7年から東福岡高校の指導に参加。その指導の手腕も高く評価されています。 |
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―ご出身は四国松山で、余りラグビーが盛んな土地柄ではありませんが、ラグビーを始められたきっかけは? |
松山商業は野球が強いところですが、先生からの勧めで中学生からラグビーを始めたのがきっかけです。当時はサッカーボールを使ってラグビーをしていました。足はそれなりに速かった。高校の時の成績は、県大会準優勝が最高で・・・。花園には、もう少し・・・というところで行けませんでした。 |
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―松山商業から名門法政大学へ、当時の法政大学の練習は、かなり厳しかったと聞いていますが? |
練習は3時くらいから始まって、練習が終わるのは9時か10時ぐらい。平均6時間くらいの練習時間でした。うち、通常の練習は3時間くらいですが、残りの3時間は、ポジション練習でした。 |
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―法政大学から故郷松山を越えて九州電力へ、九電を選ばれた理由をお聞かせ下さい。 |
その当時、九電が社会人リーグでベスト4に上がった時期でした。【西日本でプレーしなさい!】という両親の希望があったからです。 |
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―九州電力でもハードタックラーWTBとして活躍。昭和60年度の全国社会人大会でも、優勝候補三洋電機を破るトライを奪いました。九州電力の選手として思い出に残る試合を教えて下さい。 |
思い出に残る試合は・・・、三洋電機との10−0の試合かな。・・・61年の。その時は、その頃のポジションはセンターでした。 |
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―当時の九州電力ラグビー部を代表するようなエピソードはありませんか? |
2年目の九重の合宿ですかね。朝4時集合で、ゴルフ場18ホールを全部走りました。ある一部のホールのところで、ダッシュとかをやった記憶がありますね。ラグビー部か陸上部か分かりませんでした。今じゃ、そういう練習はしないでしょうね。(笑) |
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―その後プレーイングマネージャーとして、チームの指揮をとられました。当時は永田(現日本代表FWコーチ)、神田(現九州電力監督)などが入社して、大学からの有名選手がたくさん入ってきて、ちょうどチームの変革時期で、指導とかが大変だったんじゃないですか? |
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あまり枠にはめるという指導方法の意識は無かったんで、一個人の良いところを伸ばしてあげる、欠点を注意するのではなく、いいところ伸ばしてあげてその中(メンバー)でチームを作り上げる・・・ということを意識していました。例えば、ミックスジュースとオレンジジュースがあったら、どっちも美味いんだけど、やはりミックスジュースが良いと思う。みかんの味や、りんごの味があったりして、一つ一つの特徴があるから。オレンジジュースには、オレンジの味しかしない。チームにとって必要なのは、「一人一人が個の力を活かしたチーム作り(個を生かした組織)」が一番良いと思う。 |
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―九州電力入社後、日本代表としてアジア大会に出場。桜のジャージに袖を通した時の感想を教えて下さい。 |
国歌斉唱で「君が代」を聞いた時、グラウンド場で身振りがしました。 |
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―しかし、決勝は怪我で不出場の為、ノンキャップ日本代表となりました。残念でしたね。 |
『まぁ、それが人生じゃないかな〜』そこで初キャップ取ったことによって満足するだろうけども、振り返るとその時からが【再出発】だったのかな・・・って。その時は、何故取れなかったのか?・・・自分が取ろうという意識がなかったと思うし、ラグビーに対する情熱だけで、まだ考え方が整理されていなかったんじゃないかなと思う。 |
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―九州電力ラグビー部の指導を終えた後、東福岡“フェニックス”のコーチを始められました。コーチを始められたきっかけを教えて下さい。 |
少しでも力になれれば・・・と、九州という土地で何かに必要とされたり、貢献したいという考えがありました。また、東福岡高校ラグビー部の谷崎監督とは、法政大学の同期と言うこともあり、コーチをすることになりました。 |
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―高校生を教えるのは大変ではないでしょうか? |
まずは、高校生という扱いをしないで、社会人になる予備軍として扱えたかなと思う。どうしても、命令的な指導になってしまうことがある。それが良い事でもあるし悪い事でもある。スポーツを楽しむという事から始まると、そんなに強制的にやる必要はないんじゃないかなって思います。 |
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―谷崎監督がNZ留学中「監督代行」として、3度の花園出場、2年連続全国大会準優勝という輝かしい実績を収められました。選手時代と違う感激ですよね? |
そうですね。選手のお陰です。(笑)最初の年・・・、6年前ですか、花園行きが決まった時、花園での練習でアップの時間、どこでアップしていいのか?も分からないし、どこから入っていいのか?も分からないし、花園を経験していなかったから大変でした。社会人の時は、何度か花園で試合をしましたが、正門から入って行きましたけど、監督代行で行った時は、裏に選手入場の入り口があったらしく裏から入らないといけなかったみたいです。そういうことも全然知らなかったので、本当に大変でした。花園に行くのが当たり前と思われているチームは・・・。 |
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―当時の教え子は、大学ラグビー界でも活躍中ですね。彼等の活躍は嬉しいですね。 |
そうですね。指導者としては一番うれしいですね(笑み)将来、トップリーグに参加するか、それとも地元に帰ってクラブチームやるのか、とにかくラグビーを続けてもらえるのがうれしいですね。育て、指導した甲斐があると思えます。 |
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―今年の東福岡高校は、全国大会制覇を狙えるチームと言われていますが・・・? |
何本かの指に入りますけど、日本一を狙うにはいくつかの課題をクリアしないといけない面が多いですね。 |
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―話は変わりますが、鉄心さんは長く資材業務に従事され、現在は九州通信ネットワーク(QTNet)の第3営業Gの課長として活躍。現在お仕事はどんなことでしょうか? |
QTNetは通信事業なんですが、BBIQというインターネットの販売業務です。主に新規顧客獲得を行っています。例えば、新築マンション計画時に、マンションハウスメーカー等へ光ファイバインフラ導入の提案を行います。導入決定後に、建設現場にて設備コンサルティングし、完成間近にマンション共用部まで光ファイバの先行工事を実施します。 マンション内覧会時にBBIQブースを設置し、新規顧客を獲得行う。簡単に言いますと新築マンションを建てる前に事前に光ファイバを導入して頂く交渉をしています。 |
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―競争が激しいから大変ですよね。 |
まぁ、あきらめずに地道に信頼関係をつくり、その中で営業していきたい。人とのつながりを大事にしていきたい。と思っています。 |
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―九電ラグビー部は、鉄心さんをはじめとするOB先輩を見習い、仕事とラグビーを両立してTL入りを目指しています。その後輩達に声援をお願いします。 |
まず、ラグビー部という前に【企業人】であるということ。いろいろ考え方はあると思うけど、ラグビーができるという環境は出来つつあるので、「プレイヤー(選手)の考え方を一つにするようなチーム」にならないといけないと思います。ぜひ、トップリーグに上がるように頑張って下さい。 |
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川内 鉄心(48歳)
■QTネット 福岡営業所 営業第3グループ課長
■松山商高→法政大→九州電力株式会社
■役時代はWTB、CTBとして活躍
日本代表、日本選抜、九州代表 |
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