第二回は、2度の監督を歴任。当時は「九州の暴れん坊」といわれた野武士軍団をまとめあげ、全国社会人大会でベスト4に進出して一時代を築き上げた闘将。現在資材燃料部副部長として、毎日多忙な業務を「気合」で乗り切る津山武雄先輩です。 |
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―まずは、津山さんと楕円球の出会いから教えて下さい。 |
高校に入学したときに部活の紹介で、だれにでもできるスポーツはラグビーだということを聞いたのがきっかけです。当時、身長が145p体重43kgのスポーツに縁のない体つきで諦めていたが、部活紹介で『自分にもできるスポーツがあるんだな』ってことで始めたのが最初のきっかけです。 |
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―広島工高ご卒業後、名門明治大学ラグビー部へ。各地から猛者が集まる明治大学ラグビー部で、レギュラーを確保するのは並大抵の努力ではなかったと聞いていますが。 |
無我夢中でプレーに集中していたので、あえて【何を、何に力を入れて練習した】とか、【何に力を入れて試合に臨んだ】とかそういうことではなく、無我夢中の4年間を過した結果が、明治の紫紺のジャージを着ることに結びついたんだ!と思います。 |
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―津山さんがレギュラーを奪ったお陰で、天才SH松尾選手がSOへ転向。
その後日本を代表する名SOになったそうですね。同級生として意識するところはありましたか? |
それはもちろん意識はしたし、仮に4年間松尾がいて紫紺のジャージが着れなければ、留年して5年次にでも紫紺のジャージを着たい!という気持ちはありましたね。 |
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―明治大学では日本一も経験。国立で社会人を破った時の感想を教えて下さい。 |
社会人を破って日本一になった時よりも、大学選手権で早稲田を破って大学チャンピンになった方が思いは非常に強い。その勢いで社会人と試合して、結果的に勝って日本一になったっていう位置付けかな。やっぱり、早稲田との大学選手権、決勝で勝ち優勝したという思いでの方が強いね。 |
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―その後出身の広島ではなく、九州の地を就職先に選ばれたのは、何かきっかけがあったのでしょうか。 |
先輩からの誘いです。先輩というか九州出身のOBからの誘いで、一番始めに九州電力から声をかけてもらったので、迷うことなく2つ返事でお願いしたということです。 |
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―当時の九州電力ラグビー部は、今のように恵まれた環境ではなかったと思います。当時の思い出を聞かせて下さい。 |
今振り返ってみると、僕にとっては非常に入りやすいラグビー環境だったというのが言えるんじゃないかなと思います。もし、ある程度レベルが高くてラグビー環境が整っていたら、はたして同じように自分の持てる力が発揮できたのかなと振り返ると、首をかしげる部分があります。そういう意味では僕にとっては、設備が整ってるとかいうのは別として、良いラグビー環境のチームに入ることが出来たというふうに思います。 |
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―50年代後半の九州電力は、「九州の暴れん坊」として、V7新日鉄釜石に終了間際までリードした試合や、優勝候補三洋電機を破りベスト4まで進んだ試合は、今でも語り継がれています。津山さんが思い出に残っている試合を教えて下さい。 |
入社して5年目に新日鉄八幡を破って十数年ぶりに全国社会人大会に出場できたことかな!・・・やっぱりあの地区の決勝の試合と思うね。 |
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―監督を2度など歴任されましたが、監督としての思い出を教えて下さい。 |
それは、【良い選手に恵まれていた】ということでしょうか。監督という指導の立場でありながら、選手と一体感を持ってチーム運営ができた・・・という意味では、良いメンバーに恵まれた環境で2度も監督を務めることができ、選手に感謝しています。 |
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―また津山さんは、日本代表としても活躍されました。桜のジャージを着たときの感想を教えて下さい。 |
チームのジャージとは、別格の思いです。【君が代】を聞くと、やはり極端な話をすると戦場に立たされて戦いが始まるんだ!という、いっしゅ独特の雰囲気というのを今でも覚えていますね。 |
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―津山さんは、お仕事でも現在「資材燃料部副部長」としてご活躍されていますが、仕事とラグビーを両立するために大事なことは何でしょうか? |
両立を難しく考えるんじゃなくて、限られた時間で出来ることを一生懸命するってことが一番大事じゃないかな。その両立をしなければいけないという前提をもとに判断するんではなくて、若い時には今しかできないこと!を自分の頭の中で整理して、自分でそれを認識し一生懸命やり遂げるというのが一番普通の自然体じゃないかなって思います。 |
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―仕事とラグビーを両立して、トップリーグ昇格を目指す後輩達に、メッセージをお願いします。 |
今のチームは、まだ失うものが得るものより少ない。そういう意味では、思い切って試合に臨んで欲しい。トップリーグ昇格・・・期待してます!! |
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津山 武雄(52歳)
■九州電力(株)資材燃料部副部長
■広島工高→明治大→九州電力株式会社
■現役時代はSHとして活躍。プレイングマネージャー、監督を歴任。
■「靴でビール」と「男どあほう甲子園」は当時の部員には忘れられない思い出… |
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